米当番
  
オリエンタルラジオやライスなど参戦ライブの備忘録。ネタバレも含むので注意。09/1/10開設。
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ライブ参戦予定→more?
・未定!
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【おしらせ】
とくになし!!>

「8月の秘密」と「お日柄もよく」 考察
外に出るのもうんざりするほどの日差し。立ち込める蒸し暑さ。気が遠くなるほど青濃い空に、白を何重にも塗り重ねた入道雲。うるさいほど泣きわめく蝉の声。
……八月になると決まって思い出すものが二つ。
THE BACK HORNの「8月の秘密」という曲と、ライスの「お日柄もよく」というコント。
思い出すたび大声で泣きたくなるこの二つを、自分勝手に重ね合わせました。


(ライスのコントのネタバレを含みます。未見の方はご承知おきください。
また、お日柄もよく、は一回しか見れていません。細かいところ、もしかしたら違っているかもしれません。ご容赦ください。
かぎカッコ内が歌詞、その後に勝手な解釈をつけています。)


***


「こんな儚いのに
離れてしまうのか
息をひそめる
君の鼓動感じてた」

儚い、というのは、関町さんの存在そのもの。この世に無くなって、記憶、あるいは幽霊という極めて儚い存在として現れたのに、それすら永遠でない、また離れなければならないという。
息をひそめる君の鼓動、も関町さん。かくれんぼで隠れて姿は見えないけど、鼓動だけは感じられた。でも、鈴(りん)の音とともに、それもふっと消えちゃったんだろうな。


「黒こげ ぼうくうごう
秘密の夢見たね
青空 猫の死骸
友達の消えた夏」

黒こげぼうくうごう。コントから遡ること数年、あるいは十数年、二人の子どもの頃の記憶。無傷じゃないけど、たしかに自分たちを守ってくれた秘密基地の成れの果て。二人きり。
青空があって、猫の死骸が転がってて、そこで見た秘密の夢。きっと、不謹慎で、疚しくて、もしかしたら少し恥ずかしいこと。見上げれば怖いほど青空で、目を落とせばぞっとする死が横たわり、だから君から目を離せない。君にしか、話せない。
もう君のことを、ただの「友達」だなんて呼べない。
なのに、あの夏、君は消えた。


「あくびのせいだよと
いったのに笑われた
「うそつき」せみの声が
えいえん 鳴り止まない
大人はやさしい顔
すべてを奪ってゆく」

君がいないから涙が出る。幻でも君に会えて嬉しいから涙が出る。君は何も聞かないけど恥ずかしいから「あくびのせいだよ」ってごまかす。君は何も言わないけど全てを知ってるように優しく笑う。
君は何も言わなかったのに「うそつき」、非難する声がきこえる。うそ、空耳、あれは蝉だ。蝉の声がうるさいから耳をふさぐ、目をふさぐ。君の姿が見えない。
あの日の大人のように、僕たちからぼうくうごうを奪ったあの大人のように、君は僕から奪われる。

「うそつき、」……あれは僕の声だ。どこにも行かないって言ったのに二回も勝手にいなくなった、裏切られた僕の声だ。


「こんな儚いのに
離れてしまうのか
息をひそめる
君の鼓動感じてた」

あの日のぼうくうごう。
息をひそめた、鼓動を感じるほど近すぎた、二人だけの秘密。


「きれいで汚なすぎた
悲しいあの秘密は
誰にも言えないから
君に会いたくて泣いた」

青空、猫の死骸、君との秘密。
君から目を離せない、君にしか話せない、八月の秘密。
君に会いたくて泣いた。あくびのせいなんかじゃなくて、泣いた。


「こんな儚いのに
離れてしまうのか
息をひそめる
君の鼓動感じてた
「また会えるから」と
踏切の向こう側
遠く伸びる影
まばたき一つせずに」

「君が見つからないから
かくれんぼ終わらない
あの日の ぼうくうごう
いないいないばぁ
ここにいるよ」

また会えるって言ったのに、隔てたのはただの踏切のはずなのに、君はいつまでも見つからない。
だから、きっと、これはかくれんぼの続き。さっきまで二人で遊んでいた、かくれんぼの、続き。

……本当は気づいているけど。
記憶の中にしか、もう君はいないこと。


***


「8月の秘密」は変な曲です。本人たちも「いきなりサビから始まるし、あいうえお作文が入ってるし変な曲」って言ってる。
短調と長調が入り混じって、不穏で不完全で、落ち着きどころがない。
「防空壕」に引きずられるけど、間違いなく別離の曲だけど、たぶん戦争ではない。
子どもの頃に、親の事情で引き離された友達との思い出、と読むのがおそらく一番自然。でも再会できてないってところに奥行きとやるせなさを感じる。君はほんとにいなくなってしまったか、全く別人になり変わってしまったか。いずれにせよ、明るい未来がちっとも見えない。「思い出」として消化できてない。なんとなく、ただの別れじゃなくて、死のにおいを強烈に感じる。
歌詞にでてくる「踏切」は、死と生を別つ「開かずの踏切」に思える。


夏と戦争と、蝉の声と消えた君。
……に、鮮やかにライスを呼び起こされました。「お日柄もよく」の二人には、冗談に紛らわしきれない、澄み切って澱んだ過去があったような気がします。
私はそれを、「8月の秘密」と、こっそり呼びたいのです。
posted by kagari | 18:11 | [考察]考察 | comments(0) |  拍手!
無邪気について 考察
無邪気って場合によっては、とても怖いものだと思います。
邪な気持ちがない、すなわち純粋ということは、どこへでも如何様にでも暴走できるので。
芸人さんって(良い意味でも悪い意味でも)子どもらしい人が多くって、実年齢と感性とのギャップに驚くことがとても多いので、ちょっと考えてみました。
「子ども=無邪気なもの」というのが基本前提で。まとまりない雑文です。


まず、『無邪気』が一番怖い形であらわれてるのがチーモンチョーチュウ白井さん。
「家に火つけてやろうかと思って」
「お風呂に入ってるとこドライヤーつっこんでやろうかと思って」
「眼ん玉ちょうだい」
自分が嫌なことされたから仕返ししたいってときに、「されたこと」と「仕返しでしたいこと」の間に、倫理だったり常識ではかれる同価値性がない。
知識がない、常識がないということが子どものけっこう大きな要素かと。
そんなものにとらわれず、いつでも「自分がやりたいこと」「思いついたこと」が基準だから、
「都内の野良猫全部飼ってちょうだい」(罰ゲームとして)
みたいなわけわかんないことにもなっちゃう。
あと、生命を軽く扱うことに対する恐怖がないとこも、子どもの怖さだよなあと思います。
虫を破壊するとか、ひいてはそれが動物虐待につながるとか、よくあるし。
結果を予測できない、というところもありますね。

ライセンスのお二人が、よくラフ・コントロール森木さんのことを「こわい」って表現したり、オリラジあっちゃんがはんにゃ川島さんのことを「こわっ」って言っちゃったりするのですが、そこのところを考えると、何か解答らしきものに結びつく気がします。
あれって何が怖いんだろう。とっさに「こわっ」って言っちゃう反応、どこから来るんだろう。
・普通に生活してれば身につくはずのこと(常識)を身につけていないこわさ
・そういう「何か(常識が)足りないはず」の人がのうのうと生きているこわさ
・自分の信じていたものが揺らがされるようなこわさ(常識が常識でなかったということ)
ここらへんですか。
無邪気っていうのは、相手の信念を揺さぶるからこそ怖いのかもしれない。
「湯船にドライヤー」「人が死んじゃうからダメ!」
別にこの後、白井さんが「なんで死んじゃうとダメなの?」とは聞かないわけだけど。

なんだかそういう怖い側面がある上で、でもそれを笑える話に持ってくために、みんながどういう工夫をしてるかってところが面白いな、と思います。
こわいって思ってるのも私だけかな。よくわかんない。
以下気になったネタについて、子どもだなあこわいなあと思うポイントと、面白くさせてる要素。

はんにゃの剣で切りあうネタ。
金田さんカッコイイ!で終わりたいのに、最後あきちゃんがつい楽しくなって切りかかっちゃうから、いつまでたってもコントが完結せず金田さんイライラ。
「話をまとめる」って概念のないあきちゃんが子どもかな、と思いましたが、お互いやりたいことに折り合いつけられない感じは両方子どもですか。
この人たちは、どんなネタにしろ、動きでおもしろさを出しますね。
オチがなくても大丈夫、とまでいったら言いすぎかな。

ライスの毒入りリストのネタ。
関町さん扮する刑事のところへ犯人から電話。ものすごいシリアスな状況のはずなのに、犯人が似つかわしくなく面白くって、つい笑っちゃう。
これは、関町さんがTPOと自分の立場を無視して面白いところについ飛びついちゃう、っていう無邪気さよりは、規模の大きい犯罪の割に商品の名前に対して超きまじめ、っていう犯人のギャップで笑わせる感じ。

チーモンは白井さんの無邪気に菊地さんがのったりそったりするのが面白い。
初見のインパクトよりも、ずっと見てるからこそのおもしろさだなあと。
犬の心はひっかけあい騙しあいみたいなネタがよくありますが(「ひっかかったひっかかったー」ってのとか、ダンボール箱に入ったときだけ猫に見える、とか)、あれは、時に人をイライラさせる無邪気さにたいして、池谷さんが復讐してくれるから面白いのかな。


書いてるうちに自分の中にも様々矛盾を見つけてしまったので、もっとちゃんと考えたいですね。しばらくは思いついたことぽつぽつ書きつつ、いつかちゃんとまとめられるといいです。
posted by kagari | 14:01 | [考察]考察 | comments(2) |  拍手!
コントの要素分解 考察
punch-lineさんが書かれていた、漫才とコントをちょっと要素分解して分析してみようって記事がおもしろかったので、便乗して書いてみたいと思います。
見たまま印象で思ったままを軽く!
 →Punch Line‐漫才をチャート化してみよう
 →Punch Line‐コントをチャート化してみよう(上の続き)

私は上の記事をうけて、コントを要素分解すると、
・設定の現実性
・キャラクター性
・視覚、聴覚効果
・ストーリー性
・アドリブ力
って5つをあげてみたんだけど、なんでそんなん思ったかってことや、お返事を受けて考えたことなどつらつらと。

私がまず「設定の現実性(設定が現実的かあり得ないか)」と「キャラクター性」に着目したのは、以前しずるとフルーツポンチに焦点あてたのが大きくって。
ストーリーとオチは似ているのに、私が違うと感じるのはどうしてかなあと考えたら、その二つにおとしこまれたのでした。
 →過去記事‐青春コント 考察
「設定の現実性」っていうのはもうちょい幅を広げて、舞台設定とかシチュエーションとかって言い換えられるかなあとも思います。
舞台の装置や衣装、小道具なんかを含めて、「舞台上においての演者以外の部分」って総括しちゃいたい気もします。
「視覚・聴覚効果」に含まれるかもなんですが、そっちはまた違う話をしたいんですよねー。

で、「キャラクター性」について考えたのは、この前もちょろっと言ったんだけど、メルヘン倶楽部と御茶ノ水男子が気になったってのが、けっこうあります。
メルラブは『女の子(妖精さんと銘打ってはいるがあれは確実に女の子だろう)』、御茶ノ水男子は『BL小説に出てくる男の子』になりきったコントをやったりするんだけど、当人達の素の感情ではおそらく理解不可能なもの、を演じてるってとこに興味を持って。
「女子の生態」も「BL」も確実に女子視点を意識したお話じゃないですか。
女の子たちが、「これそうそう!」とか「これはちがう!」とか思いながら楽しむっていう。
女装っていうとアームストロングを思い出したりもするんだけど、彼らはやっぱり男子目線の違和感を表現してるよなあというか、万人受けする着眼点だな、と。どこが違うんだか。
でもスマートさがあるよね。なんとなく。
まあそんなこんなとか、コント師さんが20〜30代男性を演じてるときと70代女性を演じてるときとでは、明らかに観客に与える影響が違うよなあとかそんなことを思いながら、キャラクター性ってのをあげてみたのでした。
 →御茶ノ水男子 09/5/7 BLコント
 →御茶ノ水男子 09/5/13 アメリカンアンパンマン(おまけ…メダル獲得ネタ)

次に「視覚・聴覚効果」ですが。
もちろん舞台装置とか音響みたいなものは挙げざるをえないよなあ。
ライスのバナナコントでバナナがあんなにでてこなかったらインパクトゼロだし、この前エンタでやってた刑事のコントで拳銃が「バンッ」っていうのはけっこう重要だし。
でもこの拳銃の音に関しては必要ないかも、なんですよ。
しずるの田沼さんのネタ、∞でやってるから音なしなんだけど、ドキッとするから。
 →しずる 09/2/12 田沼さんがころんだ
となると、こういう意味での五感効果は他とまとめちゃってOKかな、と。
じゃあ何が「視覚・聴覚効果」なの?っていうと、私がすごい思い浮かべてたのははんにゃの金田くんです。
彼が面白がられる要因って、「ヘタレキャラ」とか「変なゲーム提案するキャラ」以上に、動きの愉快さが視覚にすごい訴えかけるからじゃないかなあ。
3月AGESAGEでライスがAにあがれて4月ではおっこっちゃったのも、オチがあるうんぬんより、関町さんの動きと、操られてるときの仁さんの動きの面白さゆえじゃないかなと思ってるのですが。
 →ライス 3月AGESAGE
 →ライス 4月AGESAGE
あと聴覚の面白さについてはこちら。
 →ライス 毒入りリスト1
 →ライス 毒入りリスト2

最後に「アドリブ力(客席を巻き込む力?)」、これが難しいところなんですよねー。
コントって劇だからなあってのもあるし。
でもこれに関して私がすごい思い出すのが、4月によしもとライブSHOWを見に行った時のことで。
フルーツポンチのネタの最中、客席で赤ちゃんが「うわーん」って泣いたんですよ。
ほんの一瞬でおさまったんだけど、観客の中には何となく意識が残ってる。
そんなとこで、村上さんが、それまではずっと亘さんに対してふざけた返答するってのやってたんだけど、すきをみて「ウワーン」って泣き声のマネを入れて。
瞬間お客さん大爆笑。
コント師さんってコントの最中はそのお芝居とだけ結びついてるはずなのに、村上さんがアドリブを入れた瞬間、舞台と客席の垣根をこえて、村上さんがむしろお客さん側と結びついちゃったんですよね。
客席との一体感っておもしろさもライブにおいてはやっぱり重要だと思うから、いくらコントだとしても、ここって抜かせない条件なのかなあって思います。
アクシデントが強い、ってのもこんな要素からうまれる?
まあ事故が強いのはアゲアゲだけでM-1では弱いって話もありますが(笑)

いろいろ考えてみたら楽しくって書きすぎました(笑)
punch-lineさん、興味深い視点をありがとうございました!
posted by kagari | 19:47 | [考察]考察 | comments(2) |  拍手!
制限された世界 考察
しずるのコント、『嗚呼、二人』を見たときになんとなくチーモンチョーチュウの三文字ゲームを思い出しました。全然違うんだけど。
なんで似てるって思ったのかよく分からなかったんだけど、考えてみたので書きます。
ちなみにチーモンはM-1敗者復活戦ネタ『迷子』のやつで。

嗚呼、二人……
同居してる二人の会話コント。仲が良いのかどうなのか、二人の会話は単語のみ。
「腹減った」「作った」
「なに?」「カレー」
「ビーフ?」「ううん」
お互い、会話の時は単語なのに、独り言は文章。独り言なら意味のある文章にできるのに、話しかけるとなると単語だけ。


同じ漫才やコントを見ても、人によって面白いと思うポイントは様々だと思うんだけど、私が両者を見て一番おもしろいと思ったのはテンポ感。
たたみかけるようなリズムとテンポが心地よくて面白い。
リズムに乗ってるから気持ちよくすんなり聞いていられるんだけど、ふとした瞬間に異質な単語が入ってくるから笑ってしまう。
チーモンだったら「ゲイだ」とか、しずるだったら「かわいいね」とか。
異質な単語はもちろん普通の漫才とかコントで出てきても笑えるんだけど、使える言葉に制限がかかっていることで、余計におもしろく感じる。
あと他のポイントとしては、ルールを抜け出た瞬間。
チーモンは一番最後、菊地さんが三文字以上をしゃべらされちゃうとこ、しずるだったら独り言を言うとこ。独り言はちゃんと文章になってるので。
つまり大切なのは「ルールがある」ってことです。
チーモンのルールが白井さんによって最初っから提示されてるのに対して、しずるのルールはコントを見ていく中でお客さんがなんとなく掴みとらなきゃならない、っていう違いはあるんだけど。
ルールがある、ということはこれはやっぱりゲームなんだよね。
『三文字ゲーム』っていう名前の通り。

ゲームっていうのは、ルールを自分のものにするまではなかなか楽しめないわけで。
チーモンのネタにお客さんが笑うよりも感心してしまう、っていうのは、そこからきてるのかなあと思います。
「よくこんな引っかかりやすいルールでやりとげた!」みたいな。
三文字ゲームのルールが世間に浸透してかない限り、おそらく万人受けする笑いにはなりえないよなー、と。
はんにゃの『ズグダンズンブングンゲーム』がみんなに笑ってもらえるのも、イロモネアのサイレントでポーズだけで勝ち抜けたのが示してるみたいに、「こういうゲームがあるよ」ってことがすでに浸透してるからだし。
しずるの方は、「親しい人どうしだと言葉少なでも通じる」っていう人間関係に関するルールだから、意識してる人が多い分なじみやすいのかなあとは思います。

もちろん両者のネタは似てるわけでは全然なくて、それぞれ違った面白さがあるわけで。
チーモンだったら菊地さんが悩みながらひねり出した答えに笑えたり、しずるだったら何がどうしてこの二人はこうなっちゃったんだろうって考えたり。
そんな風に考えながら見ていると、菊地さんの悩み方が、三文字をひねりだそうと悩んでいるのか純粋になんて答えようか悩んでいるのか曖昧になってきて。
ただのコントを見ているように楽しみはじめたところで白井さんの「はいお前負けー!」、びっくりします。
あ、そうだ、これゲームって前提だったんだ、って。
やっぱりスコーンって抜ける笑いにはなりえない。でもそこが好きな所です。
つきつめて、これでもかっていうくらい、いい意味で強引におもしろくしていってくれないかな。
posted by kagari | 22:40 | [考察]考察 | comments(0) |  拍手!
青春コント 考察
しずるとフルーツポンチがたまに『青春コント』とよばれるものをやっているわけですが。
似てるにてると言われているけど(たまに、フルポンがしずるを…、とも)、個人的には受け取る印象が全く違うのでなんでだろうと思って考えてみました。
軽いノリで!

私が見たことあってちゃんと覚えているのは、
<しずる>
・視力検査
・文鎮(二度書きしちゃったやつ)
<フルーツポンチ>
・福袋(3T 教室×フルーツポンチ)
・遭難(3T 砂漠×フルーツポンチ)
くらいだと思うので、そこから受け取った印象。

しずるは、もちろんシュールなコントを多くやってるってイメージがあるからかもしれないけど、青春コントでも「この人たちシュールだなー」と思ってしまう。
逆にフルポンって、おんなじようにやってるにも関わらず、もっとほのぼのっていうか泥臭いっていうか……(笑)
二組とも、過剰な友情を見せることで笑いにおとしこんでるのは一緒なのに、なんでしずるはシュールでフルポンは泥臭い(笑)(べつに良い意味ですw)のかって考えたときに、シチュエーションの違いがあるのかなって思いました。
しずるのシチュって現実的、逆にフルポンのシチュって非現実的なんだよね。
たとえばしずる、「視力検査で自分の番が来たのになかなか受けようとしない人」とか「習字で二度書きしちゃって先生に怒られた人」って、現実でもふつうにいそう。
逆にフルポン、「福袋を買ったらガラクタしか入ってなかった」とか「砂漠で遭難して見知らぬ人と二人きり」って、なかなか現実には起こりえない。
そこから、二組がどこで笑いをとろうとしてるのか、ってのが見えるかなと。

しずるは、誤解を恐れずにいえば、『演じる』とか『演者』というものについてのパロディをやろうとしてるのかな?
演劇とか演じるっていうのは、もちろん文化であり芸術であるわけだけど、一つ間違えればひどく滑稽なものになる。
「なんであの人、あんな役に入りこんでるのー?」とか「何なりきっちゃってんのー?」とか。
「視力検査をなかなか受けようとしない」っていう、ちょっとそこらにありそうなシチュエーションにおいて、『視力の道において挫折した少年(村上)』と『彼に憧れの気持ちを抱きつつ支える親友(池田)』という、あり得ないバカらしいキャラを演じることで、「演じるってなんか面白おかしいなー」とか「演劇って奇妙だなー」って思わせてる……ような気がします。
ほんと、いつでもラストで村上さんが仮面を脱いで、「と、まあこのように僕らは演じてみたわけですが…」としゃべりだして違和感がない感じ(笑)

フルポンはそうじゃなくて、現実にはあり得そうもないシチュエーションに二人の人間が置かれて、見ている人に「きっとこうするだろうな」って先入観を抱かせたり「え、ここでこの人たちどうするの?」って疑問を感じさせたところで、「今日の二人はこうしますよ」って予想もつかない(もしくはあえて予想通りの)行動を見せて笑いにもってく感じ。
まあフルポンの場合は、非現実的なシチュエーションってほかに、『非現実的な村上というキャラクター』という加点要素がよく出てきますがw
あ、それで考えると、『非現実的な村上というキャラクター』に亘という普通の人間が対面させられて、観客に「どう対応するのかなー?」と疑問に思わせたところで、「今日の亘はこうしますよ」っていうの(あえて普通に接してみたり、ドンびいてつっこみ倒してみたり)を見せて笑いにもってくといういつもの感じと、青春コントも通じるところがあるのかな、と思います。

というわけで、以上『青春コント』と一括りにされることにあれ?と感じて書きました。
書いてて思ったのはなんというか……完成形なんてないだろうから、いつでも模索中ではあるだろうし、新しいことに挑戦したりもするだろうけど、二組とも『やりたいこと』っていう芯の部分はずれてないんじゃないかなあ、ということ。
posted by kagari | 13:54 | [考察]考察 | comments(0) |  拍手!